死んだ親友からメールが…切なく怖いドラマ『青と僕』は隠れた名作 – めるも

青と僕
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どこまでも青く、キラキラして楽しかった学生時代。でも、その思い出が、共有していた相手との間ですらも、別の角度から見ると違った見え方をしていたかもしれない……。青春ミステリードラマ『青と僕』(月曜深夜、30分・全6話)を観ると、美しくかっこいい映像・音楽に強く惹かれる一方で、切なく、少し恐ろしく、息苦しくなってしまいます(8月13日・月曜25:05~25:35が最終回ですが、フジテレビの配信サービス・FODで全話見られます)。◆親友の死の真相は…ある日、忙しく仕事にあけくれている主人公“ぼく”(井之脇海)の元に、謎の死を遂げたかつての親友である“あいつ”(寛太郎)から、届くはずのない一通のメールが届きます。しかも、その内容は、「自分のことを忘れるなんて許さない」という憎しみが込められたもの。そこから主人公の職場や自宅に様々な嫌がらせが続き、ぼくはかつての同級生であり、かつて“あいつ”と交際していた紫織(池田エライザ)に相談。ともに“あいつ”の死の真相を探るのですが……。スリリングな展開を見せる現代と、記憶にある眩(まばゆ)いばかりの高校時代。現在と過去を行きつ戻りつしながら、ドラマは進んでいきますが、そこで見えてくるのは、“ぼく”が“あいつ”のことを、実は何も知らなかったということ。ここまではよくある展開ですが、と同時に、皮肉な事実も浮かび上がってきます。「人生は短い」「明日死ぬかもしれない」などと陳腐な発言を繰り返してきた、あいつの「真意」がどこにあるのか――。◆“あいつ”のことを何も知らなかったいつでも明るく前向きで、才能に溢れ、堂々としていて、カリスマ性があった“あいつ”が、美大に一浪して入学したものの、中退。実は色覚障害の疾患に苦しみ、「色のない世界」に落ちていったという事実と、それに“ぼく”も紫織も全く気付いていなかったこと。そして、まぶしい光を放っていた色彩豊かな“あいつ”の世界が色を失っていくのとは対照的に、平凡で「自分には何もない」と感じていた“ぼく”は、一流大に合格、一流企業に入り、エリートコースを歩んでいきます。そこで見えてくるのは、“あいつ”の知らなかった闇と、“ぼく”の「俗っぽさ」、罪深いほどの鈍さとシンプルさでした。例えば、“あいつ”に憧れをひそかに抱いていた同級生・紺野くんが、友達になりたくても気軽に話しかけられず、音楽の趣味を通してちょっと距離が近くなったとき。そんな思いにもまるで気づかず、“ぼく”は紺野くんが“あいつ”に貸していたCDを一声かけるだけで当然のように又借りし、おまけにギターを始めます。“ぼく”にとっては友達になるのも、ギターを始めるのも、さして重要ではない気軽な行為でした。そして、不要になり、紺野くんに返却したCDのケースには、ヒビが入っていました。もちろん故意ではなく、「ぼく」には悪意のカケラもありません。“あいつ”の隣に当たり前にいる“ぼく”に対して、紺野くんが嫉妬心を抱いていたことにも全く気づかなければ、存在すらも最初から見えていなかったのです。◆悪意なく人を傷つけているかもしれないまた、あるとき、“ぼく”に度重なる嫌がらせをしていた犯人の正体がわかりますが、“ぼく”はその人物をまるで知りません。実は「痴漢」(おそらく冤罪)を捕まえ、それをSNSでつぶやいたことにより、その関係者に恨みを買ってしまったのでした。善意で痴漢を捕まえたはずが、その「痴漢」は投げ飛ばされた際に頭を強打、後に亡くなってしまっていました。人を傷つけるのは、悪意や憎しみなど、積極的な負の感情ばかりではありません。変わってしまった“あいつ”の絵を「怖い」と言うのも、ホストクラブで働いていた過去を知り、「こんなところで働く奴じゃない」と言うのも、単に「雑」で鈍感で、無神経なだけ。社会人になって忙しい日々を送る“ぼく”が“あいつ”に何気なく言った「お前ってさ、ずっとそういうこと言ってるけどさ、本気で思ってないだろ。本気で『明日死ぬ』とか思ってないだろ。そういう風に見えねえもん、お前」の言葉だって、どこにも悪意はないのです。『青と僕』を見ていると、自分にとっての善意や、他意のない言動、鈍感さが、知らず知らずのうちに誰かを傷つけ、追い詰めていることがあるかもしれないと感じ、ゾッとしてしまいます。残るは8月13日放送分の最終回のみ。死の直前、“あいつ”が“ぼく”に送った「見せたいものがある」というメールには、どんな意味があったのでしょうか。はたして“あいつ”の死の真相とは? 忘れていた、あるいは目を背けてスルーしてきた青春の痛みと罪の結末が気になって仕方ありません。<文/田幸和歌子>

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